沿革

本学会は、Oto-microsurgery 懇話会、Oto-microsurgery 研究討論会、Oto-microsurgery 研究会などの流れを汲む日本臨床耳科学会と、内耳生化学懇話会、内耳生化学研究会などの流れを汲む日本基礎耳科学会が合併して、平成3年9月1日に発足した。第1回(平成3年)、第2回(平成4年)は、秋に臨床学会と総会、春に基礎学会が開催されたが、第3回(平成5年)からは学術講演会と総会を年1回秋に開催するようになった。

1.日本臨床耳科学会の沿革:Oto-microsurgery 懇話会(昭和36年)、幻の日本耳科学会(昭和48年)、臨床耳科学会(昭和48 年)、日本臨床耳科学会(昭和53年)から日本耳科学会の統合まで(平成3年)

昭和35年の第61回日本耳鼻咽喉科学会総会(森本正紀会長:新潟市)ではF. Zollner(Freiburg大学)、R. Maspetiol(Paris大学)、 GE. Shambough Jr.(Northwestern大学)などの著名な中耳手術の権威が招待講演を行い、シンポジウムとして「鼓室形成術」が行われ(森本正紀会長司会)、後藤修二(名大)、高原滋夫(岡山大)、後藤敏郎(長崎大)、山田喜郎(東京警察病院)が従来の中耳根治術から鼓室形成術への新しい流れについての指名講演を行った。翌年の第62回日本耳鼻咽喉科学会総会(後藤敏郎会長:長崎市)でも同様に鼓室形成術についての討論が行われたが、後藤敏郎会長の発案で総会終了後に鼓室形成術についてさらに自由に討議する懇談会がイブニングカンファランスとして開催された(橋本泰彦(日本医大)、大内 仁(福島医大)、山本 馨(大阪市大)、後藤敏郎(長崎大)、後藤修二(名大)、高原滋夫(岡山大))。これが第1回Oto-microsurgery 懇話会である。翌年1月、第6回日本オージオロギー学会(高原滋夫会長:岡山市)の最終日に第2回Oto-microsurgery 懇話会が開催され、この時、正式にOto-microsurgery 懇話会を毎年開催する研究会として発足することが決定した(世話人:大内 仁、後藤修二、後藤敏郎、高原滋夫、中村四郎、浜谷松夫、森本正紀、山本 馨)。翌年1月18日、名古屋市において後藤修二会長のもと第3回Oto-microsurgery 研究討論会が開催された。参加者の294名であった。その後、Oto-microsurgery 研究会と改称して昭和47年の第13回Oto-microsurgery 研究会まで開催された。

第13回Oto-microsurgery 研究会(神尾友彦会長:東京都)の世話人会において研究会から日本耳科学会への発展的改称が提案されたが、翌年の日本耳科学会評議員会において学会名称についての再検討の動議が提出され、議論の結果、運営組織を再編して(切替一郎委員長、後藤修二副委員長)、臨床耳科学会と名称を変更することになった。この第1回臨床耳科学会(関谷忠雄会長:名古屋市)が幻の第1回日本耳科学会である。なお、第1回臨床耳科学会講演集は機関誌『臨床耳科』の第1巻として発刊された。

大会 日時 会長 演題数

第1回Oto-microsurgery 懇話会

昭和36年4月30日

後藤敏郎(長崎大)

 

第2回Oto-microsurgery 懇話会

昭和37年1月28日

高原滋夫(岡山大)

 

第3回Oto-microsurgery 研究討論会

昭和38年1月18日

後藤修二(名大)

14

第4回Oto-microsurgery 研究会

昭和38年9月29日

山本馨(大阪市大)

22

第5回Oto-microsurgery 研究会

昭和40年1月23〜24日

中村四郎(日大)

55

第6回Oto-microsurgery 研究会

昭和40年11月14日

後藤修二(名大)

12

第7回Oto-microsurgery 研究会

昭和41年9月19〜20日

大内仁(福島医大)

40

第8回Oto-microsurgery 研究会

昭和42年10月28〜29日

黒住静之(広島大)

40

第9回Oto-microsurgery 研究会

昭和43年10月26〜27日

後藤修二(名大)

 

第10回Oto-microsurgery 研究会

昭和44年10月19日

橋本泰彦(日本医大)

 

第11回Oto-microsurgery 研究会

昭和45年9月27日

高原高三(関西医大)

 

第12回Oto-microsurgery 研究会

昭和46年11月21日

本庶正一(山口大)

 

第13回Oto-microsurgery 研究会

昭和47年11月24〜25日

神尾和彦(神尾病院)

 

第1回臨床耳科学会に続いて、昭和49年12月に大阪市で第2回臨床耳科学会が内藤会長のもと開催された。この際の臨床耳科学会総会において新しい運営委員会が組織された(運営委員長:大内 仁、運営委員:小倉義郎、小松崎 篤、坂井 真、設楽哲也、鈴木淳一、滝本 勲、立木 孝、内藤 儁、野村恭也、舩坂宗太郎、本多芳男、村上嘉彦、柳原尚明、山下公一)。第6回臨床耳科学会において、日本臨床耳科学会への改称が承認され、その後、第18回日本臨床耳科学会まで毎年開催された。なお、昭和63年から運営委員会制から理事会制に移行となった。

大会 日時 会長 演題数

第1回臨床耳科学会
(第1回日本耳科学会)

昭和48年11月23〜24日

関谷忠雄(国立名古屋病院)

63

第2回臨床耳科学会

昭和49年12月17〜18日

内藤儁(大阪大)

59

第3回臨床耳科学会

昭和50年11月16〜17日

渡辺勈(医科歯科大)

84

第4回臨床耳科学会

昭和51年11月20〜21日

小倉義郎(岡山大)

104

第5回臨床耳科学会

昭和52年11月17〜18日

設楽哲也(北里大)

114

第6回臨床耳科学会

昭和53年9月10〜11日

立木孝(岩手医大)

106

第7回日本臨床耳科学会

昭和54年10月27〜28日

曽田豊二(福岡大)

150

第8回日本臨床耳科学会

昭和55年10月9〜10日

本多芳男(慈恵医大)

134

第9回日本臨床耳科学会

昭和56年10月17〜18日

熊沢忠躬(関西医大)

173

第10回日本臨床耳科学会

昭和57年10月15〜16日

大内仁(福島医大)

175

第11回日本臨床耳科学会

昭和58年10月21〜22日

柳原尚明(愛媛大)

206

第12回日本臨床耳科学会

昭和59年11月1〜2日

鈴木淳一(帝京大)

195

第13回日本臨床耳科学会

昭和60年11月1〜2日

滝本勲(愛知医大)

235

第14回日本臨床耳科学会

昭和61年10月16〜17日

中野雄一(新潟大)

236

第15回日本臨床耳科学会

昭和62年11月26〜27日

森満保(宮崎医大)

258

第16回日本臨床耳科学会

昭和63年11月17〜18日

本庄巌(京大)

225

第17回日本臨床耳科学会

平成元年10月27〜28日

小松崎篤(東邦大)

201

第18回日本臨床耳科学会

平成2年11月22〜23日

茂木五郎(大分医大)

265

2.日本基礎耳科学会の沿革:内耳生化学懇話会(昭和36年)、内耳生化学懇話会(昭和39年)、日本基礎耳科学会(昭和56年)から日本耳科学会の統合まで(平成3年)

Oto-microsurgery 懇話会と同様に、昭和35年の第61回日本耳鼻咽喉科学会総会(森本正紀会長:新潟市)において勝木保次(医科歯科大)が「聴覚の神経機構」の招待講演を行い、切替一郎(東大)が「内耳機構の病態整理に関する実験的研究」と題した指名講演を行った。また、シンポジウムとして「内耳の生化学的諸問題」(島薗順雄司会(東大生化学))が行われたが、内耳生化学をテーマとした日本でも初めての画期的な企画であった。このような内耳研究の盛り上がりを背景に、翌年、内耳生化学懇話会が発足した。昭和37年、38年には文部省科学研究費:総合研究「内耳機能の生態に関する研究」が採択され中村文雄班長(京都府医大)のもとで9回の内耳生化学懇話会が開催された。この研究の成果は内耳生化学懇話会の機関誌として発行された「内耳生化学」の第1巻に掲載された。

文部省科学研究費:総合研究の終了とともに、昭和39年には内耳生化学懇話会は日本内耳生化学研究会と改称され、第10回の研究会が後藤修二会長(名大)のもとで開催され、昭和55年の第27回日本内耳生化学研究会まで我が国の内耳基礎研究を牽引した。昭和47年度から運営委員会の報告があるが、当時の運営委員は寺山吉彦(北大)、金子 豊(東北大)、野村恭也(東大)、石井哲夫(帝京大)、村上嘉彦(日大)、佐藤喜一(医科歯科大)、中井義明(大阪市大)、渡部康夫(大阪大)、岩井 一(京大)、森満 保(九大)、斎藤 等(京都府医大)であり、初代は中井義明運営委員長、第2代は野村恭也運営委員長が担当した。第27回日本内耳生化学研究会で日本基礎耳科学会への移行が承認され、機関誌も「内耳生化学」から「Ear Research Japan」と改称された。

大会 日時 会長 演題数

第1回内耳生化学懇話会

昭和36年8月16日

中村文雄(京都府医大)

 

第2~5回内耳生化学懇話会
文部省科学研究費:総合研究
「内耳機能の生態に関する研究」班研究

中村文雄(京都府医大)

 

第6回内耳生化学懇話会

昭和37年7月

中村文雄(京都府医大)

8

第7回内耳生化学懇話会

昭和38年4月

中村文雄(京都府医大)

7

第8回内耳生化学懇話会

昭和38年7月

中村文雄(京都府医大)

17

第9回内耳生化学懇話会

昭和39年

中村文雄(京都府医大)

14

第10回日本内耳生化学研究会

昭和39年11月24日〜25日

後藤修二(名大)

23

第11回日本内耳生化学研究会

昭和40年5月22日

片桐主一(東北大)

23

第12回日本内耳生化学研究会

昭和41年1月30日

中村四郎(日大)

19

第13回日本内耳生化学研究会

昭和42年2月12日

山本馨(大阪市大)

23

第14回日本内耳生化学研究会

昭和43年2月10日

森本正紀(京大)

16

第15回日本内耳生化学研究会

昭和43年10月25日

後藤修二(名大)

19

第16回日本内耳生化学研究会

昭和44年2月23日

内藤儁(大阪大)

24

第17回日本内耳生化学研究会

昭和45年2月14日

秋吉正豊(医科歯科大難治疾患研究所)

19

第18回日本内耳生化学研究会

昭和46年2月20日

橋本泰彦(日本医大)

24

第19回日本内耳生化学研究会

昭和47年2月11日〜12日

水越治(京都府医大)

31

第20回日本内耳生化学研究会

昭和48年2月18日

野村恭也(東大)

30

第21回日本内耳生化学研究会

昭和49年2月16日

大内仁(福島医大)

31

第22回日本内耳生化学研究会

昭和50年2月8日

三宅弘(名大)

37

第23回日本内耳生化学研究会

昭和51年2月7日

河本和友(東北大)

39

第24回日本内耳生化学研究会

昭和52年2月18日〜19日

鈴木淳一(帝京大)

42

第25回日本内耳生化学研究会

昭和53年2月18日

小倉義郎(岡山大)

39

第26回日本内耳生化学研究会

昭和54年6月8日

寺山吉彦(北大)

42

第27回日本内耳生化学研究会

昭和55年2月16日〜17日

森満 保(宮崎医大)

53

第28回日本基礎耳科学会

昭和56年2月13日〜14日

瀧本勲(愛知医大)

77

第29回日本基礎耳科学会

昭和57年2月19日〜20日

山下公一(金沢医大)

99

第30回日本基礎耳科学会

昭和58年2月18日〜19日

中井義明(大阪市大)

102

第31回日本基礎耳科学会

昭和59年2月17日〜18日

原田康夫(広島大)

131

第32回日本基礎耳科学会

昭和60年2月8日〜9日

石井哲夫(東京女子医大)

119

第33回日本基礎耳科学会

昭和61年2月21日〜22日

曽田豊二(福岡大)

115

第34回日本基礎耳科学会

昭和62年2月20日〜21日

斎藤等(福井医大)

147

第35回日本基礎耳科学会

昭和63年2月5日〜6日

野村恭也(東京大)

>174

第36回日本基礎耳科学会

平成元年2月10日〜11日

村上嘉彦(山梨医大)

188

第37回日本基礎耳科学会

平成2年2月9日〜10日

松永亨(大阪大)

172

第38回日本基礎耳科学会

平成3年2月15日〜16日

髙坂知節(東北大)

182

第27回日本内耳生化学研究会運営委員会において、野村恭也運営委員長から学会への移行に伴い学会名を日本基礎耳科学科とすること、機関誌を「Ear Research Japan」とすることが提案され、いずれも承認された。運営委員としては田中克彦(北大)、髙坂知節(東北大)、野村恭也(東大)、石井哲夫(帝京大)、村上嘉彦(日大)、庄司(医科歯科大)、平出文久(防衛医大)、伊藤明和(名大)、牧本一男(京大)、斎藤 等(京都府医大)、渡部康夫(大阪府立病院)、宮本浩明(大阪大)、増田 游(岡山大)、中島恒彦(九大)、松元一郎(宮崎医大)に、河本和友(東北大)、佐藤喜一(医科歯科大)、瀧本 勲(愛知医大)、寺山吉彦(北大)、中井義明(大阪市大)、水越 治(京都府医大)、三宅 弘(名大)、森満 保(九大)、斎藤 等(京都府医大)の8名が加わることが決定した。第28回日本基礎耳科学会が瀧本 勲会長(愛知医大)のもと名古屋市で開催され、平成3年まで11回の学会が開催された。会員数も368人から923名まで増加し、昭和59年度には運営委員会制から理事会制に移行となった。

3.日本耳科学会の沿革:日本耳科学会の統合から(平成3年)今日まで

このように日本臨床耳科学会と日本基礎耳科学会はほぼ時を同じくしてそれぞれ独自の発展を遂げてきたが、基礎研究と臨床研究の乖離といった体質的な問題とともに各学会の財政や事務処理の問題なども表面化し、日本臨床耳科学会と日本基礎耳科学会、そして日本耳鼻咽喉科学会の3者からなるワーキンググループが5回にわたる懇談会を開始して、両学会の統合についての基本的な同意に達して、両学会からそれぞれ8名の委員が参加して日本耳科学会設立準備委員会が組織された(委員長:設楽哲也、委員:石井哲夫、神崎 仁、小松崎 篤、坂井 真、佐藤喜一、曽田豊二、髙坂知節、中井義明、中野雄一、野村恭也、本庄 巌、松永 亨、水越 治、茂木五郎、渡辺 勈)。平成2年7月21日の第1回日本耳科学会設立準備委員会から平成3年9月17日開催の第5回日本耳科学会設立準備委員会まで5回開催され、平成3年秋の統合、最初の2年間は日本耳科学会臨床学科と基礎学会として開催、15名の理事制、機関誌を「Otology Japan」とすること等が決定した。平成3年9月17日開催の日本基礎耳科学会・臨床耳科学会合同評議員会において日本耳科学会設立準備委員会の提案が承認され、理事選挙が行われ、初代理事会が組織された。
日本耳科学会はその後順調な発展を遂げ、現在では会員数も3,000名程度となり、日本耳鼻咽喉科学会最大の関連する学会となった。

平成3〜5年役員

理事長
設楽哲也
理事
石井哲夫、神崎 仁、小松崎 篤、坂井 真、鈴木淳一、髙坂知節、瀧本 勲、中井義明、中野雄一、野村恭也、本庄 巌、茂木五郎、森満 保、柳田則之
監事
大西俊郎、熊沢忠躬
幹事
奥野秀次、岡本牧人、泰地秀信、高山幹子、山本昌彦

平成6〜8年役員

理事長
設楽哲也
理事
石井哲夫、加我君孝、神崎 仁、草刈 潤、小松崎 篤、坂井 真、鈴木淳一、髙坂知節、中井義明、野村恭也、本庄 巌、茂木五郎、森満 保、柳田則之、柳原尚明
監事
大西俊郎、熊沢忠躬
幹事
奥野秀次、佐野 肇、泰地秀信、高山幹子、山本昌彦

平成9〜11年役員

理事長
柳原尚明
理事
市川銀一郎、小田 恂、加我君孝、喜多村 健、草刈 潤、久保 武、新川秀一、星野知之、村田清高、森山 寛、八木聰明、山本悦生、山下敏夫、湯浅 涼
監事
鈴木淳一、中野雄一
幹事
奥野秀次、高山幹子、山本昌彦

平成12、13年役員

理事長
山本悦生
理事
市川銀一郎、伊藤壽一、小田 恂、神崎 仁、喜多村 健、小林俊光、久保 武、阪上雅史、新川秀一、髙坂知節、村田清高、森山 寛、八木聰明、山下敏夫
監事
坂井 真、中野雄一
幹事
石橋敏夫、高山幹子、山本昌彦

平成14、15年役員

理事長
山本悦生
理事
市川銀一郎、伊藤壽一、小田 恂、加我君孝、喜多村 健、久保 武、小林俊光、阪上雅史、新川秀一、髙橋 姿、竹田泰三、森山 寛、八木聰明、山下敏夫
監事
坂井 真、中野雄一
幹事
池園哲郎、小島博己、石橋敏夫

平成16、17年役員

理事長
加我君孝
理事
青柳 優、伊藤壽一、小川 郁、暁 清文、小林俊光、小宗静男、阪上雅史、髙橋 姿、髙橋晴雄、竹田泰三、友田幸一、中島 務、橋本 省、福田 諭
監事
坂井 真、本多芳男
幹事
池園哲郎、小島博己、鈴木光也

平成18、19年役員

理事長
加我君孝
理事
青柳 優、岡本牧人、小川 郁、喜多村 健、暁 清文、久保 武、小宗静男、髙橋 姿、髙橋晴雄、東野哲也、中島 務、橋本 省、村上信五、森 望
監事
中野雄一、本多芳男
幹事
池園哲郎、小島博己、鈴木光也

平成20、21年役員

理事長
喜多村 健
理事
青柳 優、伊藤壽一、宇佐美真一、岡本牧人、暁 清文、小林俊光、小宗静男、阪上雅史、髙橋晴雄、東野哲也、橋本 省、古屋信彦、村上信五、山岨達也
監事
坂井 真、中野雄一
幹事
小島博己、竹腰英樹、山下大介

平成22、23年役員

理事長
喜多村 健
理事
飯野ゆき子、伊藤壽一、宇佐美真一、岡本牧人、小川 郁、小林俊光、阪上雅史、髙橋 姿、東野哲也、古屋信彦、細井裕司、村上信五、森 望、山岨達也
監事
坂井 真、星野知之
幹事
小島博己、竹腰英樹、山下大介

平成24、25年役員

理事長
伊藤壽一
理事
飯野ゆき子、宇佐美真一、小川 郁、欠畑誠治、小林俊光、阪上雅史、髙橋 姿、髙橋晴雄、土井勝美、中川尚志、細井裕司、森 望、山下裕司、山岨達也
監事
坂井 真、星野知之
幹事
小島博己、竹腰英樹、野口佳裕、平海晴一、石川浩太郎、谷口雄一郎

平成26、27年役員

理事長
小川 郁
理事
岡本牧人、奥野妙子、欠畑誠治、小島博己、鈴木光也、髙橋 姿、髙橋晴雄、土井勝美、東野哲也、中川尚志、橋本 省、村上信五、山下裕司
監事
大谷 巌、坂井 真
幹事
石川浩太郎、大石直樹、樫尾明憲、谷口雄一郎

平成28、29年役員

理事長
村上信五
理事
宇佐美真一、大島猛史、奥野妙子、欠畑誠治、小島博己、阪上雅史、髙橋晴雄、土井勝美、東野哲也、中川尚志、橋本 省、羽藤直人、山下裕司、山岨達也
監事
飯野ゆき子、喜多村 健
幹事
石川浩太郎、樫尾明憲、谷口雄一郎

平成30、31年役員

理事長
村上信五
理事
池園哲郎、伊藤真人、宇佐美真一、大島猛史、北原 糺、小島博己、小林一女、阪上雅史、佐藤宏昭、曾根三千彦、東野哲也、羽藤直人、原渕保明、吉田尚弘
監事
飯野ゆき子、奥野妙子
幹事
石川浩太郎、藤岡正人、松本 有、谷口雄一郎

令和2・3年役員

理事長
欠畑誠治
理事
池園哲郎、岩崎 聡、大島猛史、北原 糺、小林一女、曾根三千彦、土井勝美、中川尚志、萩森伸一、羽藤直人、原渕保明、山下裕司、山岨達也、吉田尚弘
監事
飯野ゆき子、東野哲也
幹事
藤岡正人、松本 有、山本和央

令和4・5年役員

理事長
欠畑誠治
理事
池園哲郎、岩崎 聡、内田育恵、大石直樹、北原 糺、小島博己、小林一女、角南貴司子、曾根三千彦、工 穣、田中康広、萩森伸一、山岨達也、吉田尚弘
監事
飯野ゆき子、東野哲也
幹事
小山 一、西山崇経、山本和央
大会 日時 会長 演題数

第1回日本耳科学会 臨床学会

平成3年9月17日~19日

野村恭也(東大)

191

基礎学会

平成4年2月21日~22日

川端五十鈴(埼玉医大)

170

第2回日本耳科学会 臨床学会

平成4年11月26日~28日

坂井 真(東海大)

217

基礎学会

平成5年2月18日~20日

草刈 潤(筑波大)

142

第3回日本耳科学会

平成5年11月4日〜6日

柳田則之(名大)

316

第4回日本耳科学会

平成6年11月10日~12日

中井義明(大阪市大)

313

第5回日本耳科学会

平成7年10月12日~14日

石井哲夫(東女医大)

289

第6回日本耳科学会

平成8年10月17日〜19日

神崎 仁(慶大)

273

第7回日本耳科学会

平成9年10月23日~25日

齋藤春雄(高知大)

329

第8回日本耳科学会

平成10年10月22日~24日

髙坂知節(東北大)

287

第9回日本耳科学会

平成11年9月9日~11日

加我君孝(東京大)

248

第10回日本耳科学会 10周年記念式典

平成12年10月19日~21日

星野知之(浜松医科第)

303

第11回日本耳科学会

平成13年10月11日~13日

久保 武(大阪大)

306

第12回日本耳科学会

平成14年10月10日~12日

森山 寛(東京慈恵会医大)

305

第13回日本耳科学会

平成15年10月16日~18日

八木聰明(日本医科大)

326

第14回日本耳科学会

平成16年10月21日~23日

伊藤壽一(京都大)

344

第15回日本耳科学会

平成17年10月20日~22日

山下敏夫(関西医科大)

302

第16回日本耳科学会

平成18年10月19日~21日

新川秀一青森(弘前大)

298

第17回日本耳科学会

平成19年10月18日~20日

小宗静男(九州大)

334

第18回日本耳科学会

平成20年10月16日~18日

阪上雅史(兵庫医科大)

351

第19回日本耳科学会

平成21年10月8日~10日

喜多村健(東京医科歯科大)

347

第20回日本耳科学会

平成22年10月7日~9日

暁 清文(愛媛大)

363

第21回日本耳科学会

平成23年11月24日~26日

小林俊光(東北大)

398

第22回日本耳科学会

平成24年10月4日~6日

村上信五(名古屋市立大)

365

第23回日本耳科学会

平成25年11月24日~26日

東野哲也(宮崎大)

358

第24回日本耳科学会

平成26年10月15日~18日

髙橋 姿(新潟大)

348

第25回日本耳科学会

平成27年10月7日~10日

髙橋晴雄(長崎大学)

356

第26回日本耳科学会

平成28年10月5日~8日

宇佐美真一(信州大学)

356

第27回日本耳科学会

平成29年11月22日~24日

小川 郁(慶應義塾大学)

361

第28回日本耳科学会

平成30年10月3日~6日

土井勝美(近畿大学)

366

第29回日本耳科学会

令和元年10月9日~12日

欠畑誠治(山形大学)

435

第30回日本耳科学会

令和2年11月11日~14日

山下裕司(山口大学)

412

第31回日本耳科学会

令和3年10月13日~16日

小島博己(東京慈恵会医科大学)

300

第32回日本耳科学会

令和4年10月19日~21日

山岨達也(東京大学)

297

第33回日本耳科学会

令和5年11月1日〜11月4日

池園哲郎(埼玉医科大学)