対談
対談日:2023年11月4日
ダイバーシティ推進委員会企画難聴をもつ先生方インタビュー
- インタビュアー
-
片岡祐子(ダイバーシティ委員会委員長)
小川洋(ダイバーシティ委員会委員) - 難聴をもつ先生方
- 吉田翔 先生(日本赤十字社 長崎原爆病院)
野田哲平 先生(九州大学)
茂木雅臣 先生(群馬大学)
-
片岡
今回、先生方には、第33回日本耳科学会学術講演会、ダイバーシティ推進委員会企画パネルディスカッションで「難聴をもつ社会人のための羅針盤」にてご講演いただきました。自分の聞こえの状態、若い頃にどのような苦労をしたか、どのような支援が欲しかったか、社会に出てから困った経験などを話していただくことにいたしました。今回の講演内容について、お1人ずつサマリーと耳科学会会員へのメッセージを伝えてもらいたいと思います。初めに、子どもの頃から大学生ぐらいまで、聞こえの状態や困ったことなどを話してください。
-
吉田
私は、基本的に講義や授業のとき、自分で前の席に行けば大きく困ることはありませんでした。茂木先生の話にもあったように、体育館での全校朝会など、全体的な話のときは全く聞こえなかったため、やはり孤立感があり、諦めている部分はありました。そういったところについては、何かしらできることがあったのではないかと思います。部活でも、口が見えていたので、それほど大きく困ったことはありませんでした。学校や講義では、皆が思うほど困った感じはありませんでしたが、大学の現地実習などでは、初めて難聴という壁にぶち当たり、どうすればいいか分からない状況でした。
-
片岡
それは、勉強に困っていなかったというよりも、勉強は自分でやっていたから困っていなかったということですか。
-
吉田
そうです。英語や全校朝会など、スピーカーやマイクからのアナウンスや、聞き取り試験についても困ってはいましたが、リスニング試験の免除という感じで割り切っている自分がいました。自分から免除とは言いませんでしたが、英語の聞き取りが難しいということを先生に言いました。スピーカーからの聞き取りもしてみましたが、やはり無理でした。口頭で言ってもらいましたが、やはり片耳が補聴器で高音域の閾値が全くカバーできず、s、t、kの発音などは全く聞き取れませんでした。やはり難しいということを言うと、仕方がないので筆記テストに換算するという話になりました。
-
片岡
野田先生はいかがでしたか。
-
野田
大体似たような感じを経てきました。低音の聴力が良かったため、何となく分かっていました。恐らく、今振り返ると、非常に困っていただろうと思いますが、当時はそれに気付きませんでした。言語化というか、自分の状態を説明する力を全く持っていませんでした。一つ、非常に嫌な記憶として残っているのは、英語の発音です。チキンだったか、キッチンだったか忘れましたが、その発音が全くできませんでした。聞こえない子は、聞こえない言葉を発音できないということを、今はもう皆、知っていますが、当時は分からなかったため、授業中20—30回ぐらい言い直しをさせられました。そのことで、英語が嫌いになりました。
-
片岡
聞き取りにくいということを、周りが気付いていなかったのですか。
-
野田
皆、私の耳が悪いことを知っていますが、耳が悪いからこれができないということへの関心が低かったのでしょう。それ以外は、あまり困ることはありませんでした。しかし、内容が高度化し、責任を伴う仕事をするようになると、やはり困ることが出てきたという感じです。
-
片岡
茂木先生はどうでしたか。
-
茂木
やはり、先天性難聴に特徴的なことかもしれません。正常の聞こえ方を知らないので、子どもの頃は、比較して自分が悪いということは、分かっていなかったと思います。お二人と同様、何となく困っているけれども、もしかしたら皆も同じなのではないかということで、自分が特別だとは思っていませんでした。
-
片岡
客観的評価ではなく、主観的評価になっていたということですか。
-
茂木
困るようになってきたことは、聞き返しが難しいときです。最初につらいと感じた記憶は、大学1年生のときです。四駆の自動車に乗っていた先輩に、朝、車で大学に送ってもらったのですが、その車はうるさく、先輩の声が小さ過ぎて、何回聞き返しても聞こえませんでした。その場しのぎの生返事でごまかしたのですが、やはりごまかし切れず、その先輩とうまくコミュニケーションができなかったので、仲も悪くなってしまいました。難聴のことを言っても、コミュニケーションができず、変なやつが来たと思われたようです。
-
吉田
社会人になるまでは責任というものが少ないので、その場しのぎという感覚でした。やはり社会人になって責任が生まれると、うまくごまかすことができないため、困ってきたという話です。
-
茂木
そうです。
-
野田
学生のときも、困ってはいました。
-
茂木
そういったトラブルは、働き始めや、先輩後輩の上下関係が出てくると、表面化してくると思います。
-
片岡
確かに、上下関係が出てくると、きちんと正確に聞き取らなければいけないけれども、聞き取れないし、聞き返しにくいという条件がそろってしまいます。さらに、正確に聞き取らなければ、社会の中で仕事が正確にできず、うまく回らないという問題が出てくるため、そこで壁にぶつかる人は多いと思います。
今、学生時代から社会に出るまでにどのようなことに困ったかということを聞きました。やはり主観的評価しかできなかった子ども時代は、自分がどの程度分かっていないか、聞き取れていないかということを、自分で認識することが難しい時期でもあると思います。その部分はサポートや周りの教育があったほうがいいですか。 -
吉田
難しいです。私が小さいときに戻って、そのときの自分に「もっと聞こえるように補聴器を着ける」とか、「ロジャーなどの補聴支援システムを使用する」などと専門的なアドバイスをしたとしても、それほど困っていないから着けるだろうかと思うこともあります。
-
野田
当時はあまり困ったという感覚はなかったと思いますが、今考えると、困っていただろうと思います。
-
茂木
また、子どものときほど皆と同じでいたいのだと思います。
悪い意味で目立ちたくないということもあります。現実的に、どのような声掛けをすればよかったのか、いまだに正解はわかりません。恐らく、教室に同じような子が何人かいれば、また違うと思います。難聴以外も含めサポートが必要な友達が何人かいたりすると、皆のサポート意識も違ったのかもしれません。 -
野田
教師など、大人が自然にこっそりとサポートしてほしいと思います。
-
吉田
本人的には思うかもしれませんが、保護者にとっては非常にありがたい情報です。
-
小川
今なら、難聴への早期介入の必要性を早く社会に分かってほしいと思うでしょう。
-
吉田
思います。気付くのが遅過ぎます。例えば、英語ができるようにしたいのであれば、補聴器では限界があります。私の場合、小さい頃から人工内耳を入れておけば英語もできたのではないかと、今になって思っています。
-
茂木
具体的な声掛けとしては、将来、こういったことで困った先輩がいること、その人たちはこういったサポートをしてうまくいき、サポートができなかったためにこうなってしまったという将来像を見せると、子どもの心には、より響くのかもしれません。
-
片岡
最近は、インクルーシブ教育を受ける子どもたちが増え、周りに似たような難聴者の友達もいません。また、ロールモデルとなるような先輩もいません。それがもし、誰かお手本になるような人がいて、こういうことをしたほうがいいと言われていれば、何か少し違ったかもしれません。社会も含めサポートするためのシステムがあるべきだと思います。
-
野田
そのとおりです。
-
片岡
タイムマシンで戻ることができれば、補聴器をもっと早く勧めたかったとか、人工内耳があれば違ったのではないでしょうか。
-
吉田
もっと時間をかけて説明してくれる人が欲しかったです。何となくサラッと言われると、分からないのでこちらもイラッとします。
-
小川
先生がたの思いとしては、とにかく早く見つけだし、早く適切に介入することが大切であるということだと思います。「聴覚障害があるなと思ったときに、子どもにも親にも、きちんと分かるように説明をし、伝えてくれればよかったのに」 ということを耳鼻科の医者に言いたいというところかと思います。
-
吉田
先日、私は未就学児の療育をしている人のところに見学に行きましたが、きちんとしているところは、時間の感覚が違います。1カ月単位で少しでも早く補聴器を着け、少しでも早くきちんと30デシベルに合わせ、そこでしっかりと音を入れて、全ての音を聞き漏らさないように育てることが正しいと主張してくれる先生がいたことは、自分の中でも目からうろこが落ち、新しい気付きがありました。それぐらいの勢いで、しっかりと指導してもらっていればよかっただろうと思いました。
-
片岡
特に、軽度・中等度難聴の補聴に関して、いつスタンダードを始めればいいのか、どれくらいの聴力で補聴を進めるべきかについて、あまりはっきりとしたスタンダードがないということも一つの要因だと思います。野田先生の研究にも関わる部分ではないかと思いますが、ある程度、スタンダードレベルを設定し、医療機関ではなくても、どの地域であってもそれができるようにすることが非常に大切なことだと思います。
若い難聴者にどういった言葉を掛けたいか、耳鼻咽喉科医にどういった医療をしてほしいかかの2点についてはいかがでしょうか。 -
茂木
若い難聴者は、恐らく、思っていることを全て医療者に伝えていないと思います。聞こえないから恥ずかしいというところがあり、実は、補聴器なんかをしてしまえば好きなあの子に嫌われてしまうのではないかという羞恥心や悩みが思春期にはあるわけで、補聴器着けなさいと言われたくないために、聞こえなくて困るとは医療者に言いたくないというのが本音だと思います。しかし、それはそれとして受け止め、今後、困る場面が出てきたとき、そのときはいつでもサポートするという姿勢を、まず医療者が見せることだと思います。
患者に言いたいことは、難聴があることで自信がなく、難聴がわかってしまうから聞き返しづらいと思っても、人間同士が上手に話をしてコミュニケーションを取らなければ、問題の解決ができません。あまり臆病にならず、困ったときは医療者を含め、さまざまな人に頼ってくださいと言いたいです。医療者に対しては、そういった気持ちをくみ取り、時間をかけてゆっくり気持ちに寄り添ってほしいと思います。 -
野田
難聴者に対しては、本当に人それぞれです。自分とも違うし、その方も他の人とは違います。どれだけ困っているか言わなければ分からないので、何とかして自分の困ったことを言語化してほしいと思います。ただ、なかなかできないので、うまく引き出せるような医療者になれたらいいと思っています。外来で、次の人が10人待っているという状況では難しいので、そういった時間を取ることができるシステムづくりをしたいと思います。耳鼻科医に対して言いたいことは、あなたの今の判断が、その子の一生を決めるということを意識してほしいと思います。
-
吉田
難聴者の当事者に対して声を掛けるとすれば、答えはないと思います。例えば、1歳、3歳、5歳と、成長の過程で声を掛ける言葉がだいぶ変わります。最初から、相手が私に心を開くことは絶対に無理なので、心を開いてもらえるよう、幼稚園ではどういったことで困っているか、小学校ではどういったことで困っているかといったことを聞き、まず距離を詰めていくことが大事だと思います。私も小さいときは、不安ばかりだったということを共感し合う声掛けが大事だと思います。そのときどきに時間をかけて声掛けをします。3歳、4歳では人工内耳を入れたほうがいいと言っても分かるわけがないので、保護者に対して話すことも大事です。当事者に対しては、どういったことに困っているか、学校は楽しいかといったことを聞き、カウンセリングのような感じで話すことがいいと思いますが、答えはないでしょう。
-
小川
今のお話では、時間をかけてじっくり聞いてほしいけれども、皆、医者になってみると、そういった時間は改めてつくらなければ取れないということが分かったことだと思います。きちんと療育に関わる人たちに対する適切な報酬の仕組みづくりが必要だと思います。
-
片岡
リハビリ加算のようなものですか。
-
小川
そうです。
-
吉田
片岡先生が言われたように、各県での地域差があると思います。自分が生まれた県で、こういった指導が当たり前にできるようになってほしいというのが、私たちの思いです。私は佐賀県でしたが、難聴者は福岡県か長崎県に行くことになります。これも寂しいことだと思います。
-
片岡
聴覚障害児支援中核機能モデル事業が、厚生労働省からこども家庭庁に移りました。本当にきちんとモデル事業として他にも展開していける形にしなければなりません。本簡単に横展開できるようにしなければ、多くの人手が必要になり、コストがかかります。属人的なシステムでは絶対に横展開できません。ある程度、簡便な形で、少しの努力で多くの人ができるような仕組みをつくっていけたらと思います。
-
片岡
インタビューを通り越してしまいましたが、非常に重要なことです。必要な支援、療育、教育など継続的に必要な人に提供するということです。最後の質問です。耳鼻科医として、今後どのようなことをしていきたいと思っていますか。
-
茂木
昨今、多様性を含んだ社会になることが望ましいという風潮がありますが、本当の多様性という言葉がない、他の人との違いを誰も気にしない社会が最もいいのではないでしょうか。話が長くなりますが、皆さん、アメリカにマーサズ・ヴィンヤード島というところがあるのを知っていますか。1600年から300年ほど、恐らく遺伝性難聴ですが、18人に1人、ろうの子どもが生まれるという地域だったそうです。島なのであまり交流がなく、その頻度が長期間保たれていたのだと思います。島に住んでいる皆が手話ができたということで、聞こえる人同士は普通にコミュニケーションし、ろうの人には手話を使って話をしていました。後に文化人類学者がその島に行き、そこに住んでいたある故人のことについて、彼は聞こえる人だったかろうの人だったのかと問うと、そんなこと覚えていないということでした。つまり、ろうであるということがそれほど問題にならない社会であったということです。このエピソードからわかることは、人間にはそういった多様性社会とか共生社会を作り上げる力があったという歴史的な事実です。これからさまざまなデバイスも進化していきます。そういった技術の進歩を応用しながらも、皆で支え合って生きていく、難聴者も困らない共生社会を目指してもらいたいと思います。
-
野田
よく裾野を広げるといいますが、裾野を広げるために、学会でこういった企画や講演会を行うとき、聞いてほしい人はもう既に聞いてくれていますが、もっとこの情報や知識を届けたいと思う人たちは、そういった場に来てくれません。それはずっとある課題です。どのようなアプローチができるか、この何年かずっと考えています。難しいと思いますが、さまざまな形でさまざまな活動をしながら地道に発信していくしかないのでしょうか。
-
吉田
発信ということは大事だと思いますが、耳鼻科医の先生に話すとすれば、長いプロセスで見てほしいです。耳の専門の先生など手術をして終わりということではなく、聞こえ方はどうか、どういったことが困っているかなど、長いプロセスで見てもらえたほうがうれしいと思います。
-
小川
寄り添うとか、その人の気持ちになるということは、当事者が一番よく分かっていると思います。耳鼻科の難聴児の領域に関わる裾野もそこまで広がっていないので、こういったところでも上げていき、さらにリーダーのつくった実績をもっとやっていくことで、そこまでにはなると思います。
-
吉田
難聴に興味を持ってほしいです。頭頸部がんや鼻といった部門に進む人も多く分、耳はどうしても少ないです。
-
小川
感覚器は、耳鼻科と眼科しかいません。つまり、頭頸部がんは他の人もやる気になれば外科でもできます。他の診療科にどのように聴覚が大事なのか、小児科の先生にどれだけ大事なのか、アピールしていかなければ駄目だと思います。
-
片岡
このインタビューでは、会員の先生方の診療に役立ててほしい情報を多く発信していただきました。皆様ありがとうございました。