対談

対談日:2023年11月3日

ダイバーシティ推進委員会企画新任の女性教授インタビュー

インタビュアー
片岡祐子(ダイバーシティ委員会委員長)
小川洋(ダイバーシティ委員会委員)
新任女性教授
森田由香 教授(富山大学)
高橋真理子 教授(名古屋市立大学)
櫻井結華 教授(東京慈恵会医科大学)

  • 小川

    本日は、最近教授に就任された女性教授3名にお越しいただき、キャリア継続のコツ等をお聞きして、次世代の若い先生達へのメッセージとして、まとめることが出来たらいいなと思っています。

    本日インタビューする3名は、それぞれ立場が違う教授の方々となります。
    森田先生は富山大学の主任教授、髙橋先生は名古屋市立大学に新しくできた附属病院の初代教授、櫻井結華教授は東京慈恵会医科大学の複数名いらっしゃる教授のお一人です。それぞれのお立場からのお話しをお聞きしたいと思います。

    まずトップバッターは櫻井教授、お願いします。入局してから今までのキャリアを聞かせてください。

  • 櫻井

    小川先生、有難うございます。では、他のお二人の教授の前座ということで(笑)、口火を切らせていただきます。
    私が入局した約25年前当時も、慈恵医大の耳鼻咽喉科学教室は、比較的大きい医局だったと思います。ただ、女性医師はとても少なく、当時の現役医局員の女性医師は3名でした。そのような環境でしたが、何か特別な雰囲気というようなものはなくて、普通に同期の男性たちと同じように仕事をして、医局の先輩と結婚して、割とすぐに子どもにも恵まれました。

  • 小川

    お一人目のお子さんが産まれたあと、どのような感じで復職したのですか?

  • 櫻井

    最初の復職は、その後の働き方にとっても影響があり大事だと思います。私の場合、初めて産休を取らせていただいたとき、入局してから最長で1週間しかお休みしたことが無かったのに、突然何カ月も休職したわけですので、生活の大きな変化や仕事から長期離れたことを考え、復職することへの不安も強かったです。にも関わらず、なぜ復職する気持ちになれたかと言うと、一番大きかったことは、当時、任せて頂いていた大事な仕事があり、その仕事をご指導くださっていた当時は講師だった現主任教授の小島博己先生から、どんな形でもいいから復職しなさいと、産休の前に言って頂いたことです。若輩ものの自分でも少しは役に立てているのかもしれない、と思えた事が、復職への背中をおしてくれました。小島先生は、私のキャリアの恩人で日々とても感謝しています。このように、待っていて背中も押してくれるような指導者に恵まれると、女性医師もキャリア継続がしやすくなるのではないかと思います。

  • 小川

    お子さんが3人いらっしゃるということですが、あと2回の復職はどのような感じだったのでしょうか

  • 櫻井

    出産のつど、何かしらタイミングよく任せていただいている仕事がありました。そのために、戻らなくては、戻りたい、という気持ちを持つことができました。今思えば、自分の仕事内容は未熟だった部分が多いと思いますが、若かった私に上司が様々なことをやらせてくれて、職場内の居場所と責任感を持つことができるような環境をつくってくれたことが、キャリア継続の大きなポイントだったと思っています。
    自分ひとりでは到底、今まで仕事を続けることは不可能で、先輩、同輩、後輩、スタッフ、家族など、私に関わってくださった全ての方の助けがなければ今の私はありません。本当に有難いことだと心から感謝しています。

  • 片岡

    そういう気持ちがモチベーションになっていると。

  • 櫻井

    はい。微力ではありますが、皆さんに恩返しをしたいという気持ちが強く、仕事を続けることで何か貢献できたら良いなと思っています。もちろん仕事自体も好きです。

  • 小川

    先生とは、日耳鼻でも一緒に仕事をしていまして、家事等はいつもどうしているのかなと、思っていました。どのように仕事と両立していますか?

  • 櫻井

    私は医師であると同時に、妻、母、としての人生も与えていただけています。ですので、その役割を果たすことは自然な事だと思っていますから、苦に感じたことはありません。ただ、確かに時間は限られますので、手を抜くところは抜いています。ママ友さんや先輩主婦から色々と教えてもらって、手抜きしているのに綺麗に見える掃除の仕方とか、本格的だけれど実はとても手を抜いている料理とか、色々と裏技は持っています(笑)。

  • 片岡

    有難うございます。では、次は、森田先生に教授となるまでの事をお話しして頂きましょう。森田先生は、このたび、主任教授という大変責任の重い立場に立たれることになりましたね。よろしくお願いします。

  • 森田

    はい。私は富山大学ではなく、隣県の国立大学の医局出身です。実は、入局した当時の医局は女性医師に手術をさせる雰囲気ではなく、私も、専門医をとったら退職してバイト探しか開業かなと考えていました。それでも大学院には行ってみたいと漠然と思い、入局5年目で大学院生となりました。その時に1人目の子どもを出産したのですが、やりかけの研究があり、すぐに復帰しました。大学院修了後は、臨床医に戻りたいと思い医局に相談したところ、実家から近い病院の勤務にしてもらえたので、実家に住み、当直も引き受け、子どもは母にお願いするという形でしばらく働きました。その後、2番目の子どもが生まれたタイミングで大学附属病院の勤務となり、その後、3人目の子どもを出産しました。大学では真珠腫の進展度分類のデータを20年分エクセルに入れる仕事を任され、子どもをカルテ室に連れていってその仕事をやっていました。私をずっとご指導いただいていた山本裕先生が数年前に他大学へ移動されることになり、私に耳科手術を託され執刀経験数が急激に増えていきました。「必要とされている事は、引き受けた方が良い」という学生時代の恩師の言葉を本当にそうなのだと実感しています。任された仕事をやっていたら、いつの間にか主任教授になった、というのが今の気持ちです。

  • 小川

    森田先生、貴重なお話しを有難うございます。「必要とされている事は、引き受けた方が良い」ですね。とても共感します。では、次に髙橋真理子先生、よろしくお願いします。

  • 高橋

    私が耳鼻咽喉科に入局した経緯ですが、学生時代にめまいと外科手術に興味をもっており、耳鼻咽喉科が自分の気持ちとマッチすると考えて入局しました。当時の私は、市中病院勤務で、研究よりも診療が多い時間を過ごしました。そのうち小児難聴など耳のことに興味を持つようになったのですが、ちょうどそのタイミングで、その分野の人材が必要となり大学で勤務することになりました。その時から村上信五先生の下で聴神経腫瘍や耳科や聴覚のことに関わることになりました。村上先生が退官した時に、一度は大学以外での勤務を希望しましたが、今回、新しい病院ができるということで、そこの責任者という大変光栄な打診を頂きました。道を後進に譲ろうと考えていた身なので、悩みましたが、必要とされているのであれば引き受けて頑張ろうという気持ちになり、このたびのポジションを拝命することになりました。

  • 小川

    なるほどですね。先生の仕事へのモチベーションを教えて頂きたいのですが、関わるきっかけは上司にやりなさいと言われた事であっても、色々と深く取り組むうちに楽しくなってきた感じでしょうか。

  • 高橋

    楽しいばかりではありませんでしたが、やらなければならない状況でした。でも、そんな中で、耳鳴は全国でも取り組んでいる人が限られていたため、様々な大学に仲間ができ、互いに頑張ろうという関係ができたことで、続けることができたように思っています。

  • 小川

    3教授の話を聞くと、ガツガツと掴み取ってきたというより、巡りあった指導者や任された仕事に真摯に向かい合い取り組んだことが、現在のご自分達を形成したと感じていらっしゃるのですね。若手育成の上で大変参考になります。

  • 片岡

    少し話を変えますが、先生たちは、苦しいときや挫折した時もあったと思いますが、自分を立ち直らせるこつなどありますか。

  • 高橋

    今でも苦しいときはあります。でも、周囲の仲間が色々な活動をしていて、それが、かなり励みになっていると思います。仕事ばかりでなく、家庭の事がある先生たちにも、皆それぞれの大変さがあると思います。皆、大変なんだというような事を思った時に、頑張ろうという励みになっています。

  • 森田

    高橋先生のお話しに私もとても共感します。私は自分が取り組んできたOMAAVの研究が大好きで、続けているうちにいつの間にか他の大学にも仲間ができて、学会に行くのが楽しみになりました。私は、基本的に仕事は楽しくて続けてきたような気がします。嫌なこともあったかもしれませんが、覚えていません。

  • 小川

    全国規模のOMAAVの仕事などは、森田先生なら任せられると思って、先生のご指導をしていた先生が持ってきたのかもしれないですね。大変だったと思いますが、先生は、あまりしんどいとは思わずにやってきた感じでしたか。

  • 森田

    そうですね。楽しかったです。楽しさがモチベーションになっていましたね。

  • 櫻井

    私も、大変だった事も振り返ると良い思い出になっているなと感じています。今思えば、珍道中みたいな事もたくさんありました。

  • 小川

    楽しめる、ということが、苦労や挫折を乗り越える一つのキーワードということですね。ご自分が成長してきた過程を3人の先生方にお話しいただいたわけですが、ここからは、後輩を育てて伸ばしていくポジションに着かれたということで、大事にしたいこと、こうしたいなと思っている事をお聞かせください。

  • 高橋

    現在の新しい附属病院は、耳鼻科は私だけで部下はいません。今後は是非、医学生も含めた若手指導もしたいと考えていますが、現時点では、この病院での耳鼻咽喉科診療の立ち上げをするという責任が大きかったです。STの方々や他科との連携、本院との協力体制づくりを行ってきました。これから若い先生が研修できる環境をつくり、私が教えられることを教えたいと思っています。

  • 小川

    森田先生は、教室運営を行う立場になられて、何か思うところはありますか。

  • 森田

    今は赴任してまだ2か月で何も分からない状況です。最初に行ったのは、教室員全員へのアンケートで、それを元に、全員から個々にお話しを聞いている最中です。私がそうしてもらったように、皆さんにも楽しく働いてもらいたいと思っています。誰でも不満は必ずあると思いますが、何が一番の不満で本当は何がしたいのかを聞きました。耳鼻科のサブスペシャリティーはたくさんあるので、若い世代には10年単位で取り組んでほしいテーマを一つ持ってもらおうと考えています。また女性医師には、先ほどから先生方がおっしゃっているように、一時期休職した場合でも、また戻りたいと思えるような、責任ある仕事を持ち、取り組んでほしいと思っています。そのためのテーマを一緒に考えたいと思っています。恐らく面白くなるとやめられなくなるでしょう。産休、育休など何かイベントがあっても、必ずまた帰ってきたいと思え、周りからはあなたがいないと困ると思われていれば、それが適度なプレッシャーとなり、復職の背中を押してくれるはずです。今、一人一人が楽しく仕事ができるような環境を整備したいと思って、準備しているところです。

  • 片岡

    まさに、ダイバーシティな取り組みですね。人を活躍させることができる基盤をお持ちだなと感じました。
    富山大学医学部の学生の男女比はどうですか。

  • 森田

    医学部の学生は女性が4割です。富山大学の臨床系教授では、私は初めての女性教授です。耳鼻咽喉科を女性の活躍できる場として期待して頂ければ良いなと思っています。毎年1人は入局してもらおうと思っています、頑張ります。

  • 小川

    櫻井先生は、大教室に所属していらっしゃいますが、どのようにお考えですか

  • 櫻井

    慈恵の医局には約150名の医師が所属しており、それぞれが個性豊かな素晴らしいドクター達です。様々な病院で真摯にそれぞれの役割に取り組んでいる姿は素晴らしく、その仕事の種類に関係なく高い評価に値すると考えています。どのような仕事も全てその人の成長の糧になりますし、一生懸命にやってくれている姿を尊敬しています。上司がそう思っているということを、部下に実際に伝えるということも大事だと思っています。慈恵の医局には小島教授をはじめ数名の素晴らしい先輩教授がおり、私は森田先生や高橋先生のような最高責任者の立場ではないので、逆に、より教室員に近い立場の教授としてできることを考え、行いたいと思っています。

  • 小川

    駄目じゃないか、とか、これをやっていないじゃないかと言うより、小さな仕事でも何かをしてもらったら、ありがとう、よくやったと、評価と感謝を伝えるのは大事なことですよね。

  • 櫻井

    はい。仕事に大小は無いと考えています。もちろん絶対にダメな事はダメと伝えていますが(笑)。

  • 小川

    今回の耳科学会総会・学術講演会のテーマは『扉を開く』ですが、若い人へのメッセージがあれば、お願いします。

  • 森田

    サブスペシャリティーを是非もってください。追及するテーマを決めて取り組んでいくと、キャリアを楽しく継続できると思います。今は、多くの病院が敷居も高くなく、見学にも行けると思います。自分の大学では見られないものは外に見に行くとよいと思います。

  • 高橋

    私も、森田先生が言われるように、サブスペシャリティーを持ってほしいです。それがモチベーションとなり、興味が広がって続けることができるようになると思います。耳科は、さまざまな専門があり、色々な方向性でできることが多く、さまざまなことを選べます。そして、やってきたことを次に活かせるので、非常に魅力的な領域だと思います。

  • 櫻井

    若い先生がたには、自分のところへ来た仕事にはできれば挑戦してもらいたいなと思っています。変化がない事は楽ですが、新しいことが来たとき、少し挑戦するということが大事だと考えています。そのとき、指導の立場の先生がたには、ぜひサポートしてほしいと思います。森田先生、髙橋先生が言われているように、サブスペシャリティーを追求していけばどの分野も面白いと思います。友人もでき、楽しいこともたくさんあります。耳科学はそういう意味ではとても魅力のある分野だと思います。

  • 小川片岡

    先生方、有難うございました。キャリア継続のコツ、若手指導への想い、耳科学の魅力についてなど、本日は貴重なお話しを有難うございました。このままもっとお話をお聞きしていたいですが、本日はここまでとさせて頂きます。先生方のこれからのご活躍を楽しみにしています。